Case.25
「外国人との平和的共生」を漠然と考え続けてきて、自然に辿り着いた場所が、教育・研究でした。生まれ育った広島で、戦争体験から世界平和を願う人々に出会い、世界に飛び出す決心をした中高校時代。その後のアメリカでの4年半の大学生活や、ヨルダンやマラウイで活動したNGO職員時代は、私に「日本人」としての自覚と、「外国人」として生きる経験を与えてくれました。現在、高知県でも、外国人在住者の更なる増加が見込まれています。これまでの実践経験を踏まえ、「高知県での外国人との共生」について考えてみたいと思った矢先、地域協働学専攻が新設され研究への門が開き、今に至っています。
研究初心者の私にとって、「自分発掘」が研究の最大の魅力です。研究では、自分の中に在る漠然とした疑問をとことん突き詰め、その疑問を言語化し、人に論理的に伝えなければなりません。そして、文献調査等から先人の研究を探究することで、さらに自分の思考を深めていきます。研究は、この「自己を内省する過程」において、新たな自分や、諸先輩方と出会わせてくれる、とても贅沢な時間です。
私は、修士課程の研究者であると同時に、大学職員及び非常勤講師であり、実家の農家の0.5人役であり、国際交流団体の活動コーディネーター兼通訳でもあります。そのため、研究時間の確保が一年目の課題でした。しかし二年目の今は、研究以外の経験も全て、研究に生かす工夫をしています。例えば、研究協力者(インドネシアの漁業関係者)を国際交流セミナーのゲストとして招くと、研究目的以外の時間を共有することができ、その分信頼関係も深まるため、質的調査の「質」が自然と向上します。また農作業で体を動かしていると、研究への閃きが降臨することもあります。私の現在の生活は、「全ての道は研究に通ずる」、常に研究とともにあります。
高知県の代表的な料理「カツオのたたき」。少子高齢化などを理由に日本人漁師の数が減っていると言われて久しく経ちますが、カツオを変わらず食べられるのはなぜでしょうか。その背景には、日本で漁師になる(仕事をする)ことを目標に、自国で漁業技術や日本語を学び、難関試験を突破してきたインドネシア技能実習生たちと、彼らを日本で指導、サポートする日本人の姿があります。研究では、彼らからの聞き取り調査を中心に、日本の漁業産業や地域のあり方を明らかにしていきます。
私は、40代の遅咲きの研究者です。しかし、心がクエッションマークで満タンになった今こそが、私にとっての研究に歩を進めるタイミングでした。人は誰しも、「一つの疑問に本腰を入れて向き合ってみたい」、そう思った瞬間に、自ずと研究者への扉を開いていています。その道を進むかどうかは自分次第。「あなたの心に長年居座っている、解き明かしたい疑問はありますか。」答えが「Yes」であれば、早咲き、遅咲きに関わらず、きっと見事な花を咲かせることができますよ。
日常こそ丁寧に、ゆとりある生活を心がけています。研究で多くの時間をパソコン前で過ごす分、月二回の実家での農作業は、「体を動かす」「親孝行する」「自然に触れる」といった点で、心に安らぎを与えてくれます。「『忙(しい)』とは『心を亡くす』こと」。没頭すると頭でっかちになり、周りが見えなくなる自分を知っているからこそ、心技体のバランスを保つことが研究活動の質につながると、日々の当たり前を大切に過ごしています。
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