特集記事?Feature Article
デジタル化が拓く新時代の農学研究 ー「変革の担い手」となるZ世代の活躍環境モニタリングと数理モデリングを駆使して水環境を保全
齋 幸治[専門領域] 農業農村工学、環境水理学、水質?水環境工学
[研究テーマ]
●地域水環境悪化の原因メカニズムの解明とその改善に関する研究
●混住化が進む農業農村地域が抱える水環境問題の解決に向けた適切な水環境管理手法の確立
●内湾や湖沼、河川における流れや物質循環に関する数理モデリング
近年、水利用の複雑化や環境アセスメントの必要性などにより、高度な流域水環境の評価?管理手法が求められています。
このような課題を達成するためには、流域水環境の現状を詳細に把握するとともに、流域内における水?物質循環気候の定量的評価や水環境要素の将来予測を行うことが必要不可欠となります。
限りある資源である水を有効に利用するために、詳細なフィールド調査と数理モデルを駆使して、流域内の水環境改善、生態系保全、農林水産業の活性化に向けた研究に取り組む、齋 幸治 准教授にお話を伺いました。
「湖底の水に酸素がない!」 ― データサイエンスの力で水の環境問題に挑む
水は、私たちの生活に密着しているとても大切なものです。それだけに、水にまつわる課題はたくさんあります。
私の研究室では、地域課題を通して、人間と水、さらには水を取り巻く自然環境とのよりよい関係性の構築を目指し、研究活動を行っています。
私が取り組んでいる水資源工学の研究は、もともと農業土木の分野で、農地に必要な水を引くための農業用水や農業用ダム、水路、圃場整備などに関する水の研究を行っていました。今は農村工学分野に分類されるようになり、従来の一次生産の基盤整備に加え、地域の健全な水環境の保全にも研究領域が広がっています。
研究室では、湖沼、内湾などの閉鎖性水域の水環境問題について、調査?研究を行っています。
閉鎖性水域では水の流れが少ないことから、汚濁物質の堆積や自浄能力の低下が発生しがちで、それがさまざまな問題を引き起こします。栄養過多、有機汚濁の進行、溶存酸素の減少、栄養塩の溶出、植物プランクトンの大増殖などなど……そのせいで、生態系の破壊や水産資源の減少などの問題が起こっています。これらの課題を解決するため、現状を把握?分析し、水環境の保全?改善に向けて取り組むことが急務となっています。
私の研究室では、デジタルサイエンスを活用した水質環境の改善に取り組んでいます。
湖沼における“水の華”の発生の様子。水の華とは、海でいうと“赤潮”に当たる現象。水中の一部のプランクトンが大量に増殖し水の色が変わってしまうことを指し、たくさんの細胞が集まって群体を作ると目で見えるほどになる。特に夏場によく増える藍藻類の植物プランクトン群体は、アオコと呼ばれる
例えば、水中の酸素に着目すると、水の中の酸素量は、化学的な酸化や生物の呼吸や植物の光合成によって増減が決まります。
ある湖では、夏になると水中の酸素(溶存酸素)の量が減少し、しじみ漁に悪い影響が出ていました。
その原因は、水質の汚濁でした。
透明度が低くなって底の方まで光が届かず、底の方の水は冷たくなって滞留していました。そのため、湖では植物が光合成をする力が弱まり、水中の酸素濃度が低下していました。そうなると生物の生存が難しくなります。当然、しじみも育たなくなってしまうわけです。
そこで私は、微細なプランクトンも含め、湖の生態系についてのすべての動勢を数理モデル化することにしました。現実にある特定の現象を数式に置き換えることで、パラメーターの数値を校正するだけで水質環境の変化を簡単にシミュレーションできるようになります。こうして設定した計算式に基づき、湖の生態系を形成する生物の動勢をシミュレートし、生態系モデルを作成していきました。
得られた生態系モデルを元に湖の状態を調査?分析していくと、この湖の場合、海からの海水の流入が環境に大きく影響していることがわかりました。
海水は淡水より比重が重く底にたまっていくので、台風でも来ない限り水が混ざることがありません。そのことが湖の汚濁を引き起こしていたのです。
現在この湖では、水門操作による海水の流入量の調整策が行われています。データサイエンスを活用した研究が、水質改善対策への動きにつながったよい事例だといえます。
しかし、生態系モデルの作成は膨大な時間がかかるのが難点です。設定すべきモデルパラメータが膨大であればあるほど、計算の誤差が増大し、時間もかかります。世界の多くの事象を解析し、改善していくには、よりスピード感のある研究手法が必要です。
そこで私がトライしたのが、AI技術の活用です。
AI技術を使って、アオコの発生を効率的に予測
海やため池に発生する赤潮やアオコは、水中の栄養分が過多な状態になることで起こります。一度発生すると、その水域の生物に多大な悪影響を与えることになり、特に漁業者にとっては大きな悩みのタネとなっています。
そこでもし、赤潮やアオコの発生が事前に予測できるようになったら、どうでしょうか? 予測さえできれば、有効な対策を行うことができるようになり、漁業者にとっては利益になります。
予測を行うためにはまず、バランスを崩した水質環境で、栄養分がどこから来て、どんな条件になれば異常発生するのかを把握する必要があります。つまり、前述の研究で行ったように、日射量、風速、水温、酸素量などの環境をモニタリングし、蓄積したデータを解析して数理的モデリングを作れば、将来予測が可能になります。
しかし、自然環境で起こっている事象はとても複雑で多岐に渡り、解析する必要があるデータの量は膨大です。それらすべてを人の手で分類し、解析を行い、モデル化していくことは非常に困難です。
しかしAI技術の手法のひとつである“ニューラルネットワークモデル”を活用すれば、複雑な自然現象の中に潜む特定のパターンを表現?認識することができ、プランクトン発生のメカニズムが明確になっていない場合でもある程度予測することができるようになります。
ニューラルネットワークモデルとは、人間の脳神経系をモデルにした情報処理システムのことで、AIに膨大な量のデータを認識させ、それらを解析させることで、ビックデータの中からデータ同士の関連性を発見することができる技術です。
我々はそれを水環境予測に生かし、水環境の保全に役立てていきたいと考えています。
この技術は、AIに覚えさせるデータが多ければ多いほど、精度の高いモニタリング結果が導き出されます。したがって、AIには、過去の膨大な水質異常パターンを学習させる必要があります。今は、覚え込ませるデータ素材の準備とその入力、解析結果の検証に明け暮れる日々です。
ニュートラルネットワークモデルのイメージ。膨大な量のデータをAIに解析させ、関連性を探らせると、一定の条件下で発生する事象(パターン)の予測が可能になる
実際の研究では、鳥取県にある閉鎖性水域でのクロロフィルaをモチーフに、ニューラルネットワークモデルを用いて、動態予測を行った。この事例で、AIの解析結果と実際の観測値にほとんど差がないことが実証され、AI技術の有効性が確認できた
常識では見えないものを数値で“見える化”する
このように、デジタルサイエンスを活用した研究は、水環境の保全にも十二分に力を発揮します。
常識的な考え方では到底辿り着かない“答え”にも、デジタルサイエンスのフィルターをかけることで辿り着けることもあります。
例えば、こんな研究事例があります。高知市内のため池に流れ込む水路を調査した事例です。
そのため池は、物部川のきれいな水が流れ込んでいるにも関わらず、汚れていました。
そこで、ため池にいたるまでの水路を調査すると、気になる区域があることがわかりました。その区域は、田んぼの中を通ると水が汚れ、逆に街中を通ると水がきれいになっていました。
これについてどう思いますか? 普通なら、自然環境に近い水田より、生活排水が流れ込む街中の水の方が汚れているとものだと考える方が常識的ではないでしょうか? けれど、この事例では逆でした。なぜでしょうか?
池にたまった泥の中にどれだけ硫化物が含まれているかを分析している様子。硫化物の含有量は泥の汚濁度合いの指標となる
実際に調査し、データ解析をすると、以下のことがわかりました。
街の中の水路は、雨天時の氾濫を防ぐために幅が広く作られています。すると水深が浅くなり、流れが遅くなることで、藻類が付着しやすくなります。このことで生物の生産活動が水田より盛んに行われるようになります。汚濁物質の原因である栄養分が池に入る前に植物の生育に使われるので水がきれいになっていたのです。
このように、常識にとらわれず客観的に物事を明らかにするために事象をデータ化し解析することは、大切です。今後、研究現場にデジタルサイエンスを活用していくことの重要性は、どんどん高まっていくでしょう。
しかしそれだけに、現場でのリアルなフィールド調査がなおさら重要となっています。デジタル技術を活用して正確性の高い結果を得るためには、現場でのデータ採取と現状把握がとても重要で、それらがなければAIに学習させることもできません。現場で得られたデータには多種多様な情報が含まれており、大学の教員になった今でも、毎回異なる気づきがあります。
環境のしくみを調べることはとてもおもしろいです。
ぜひ一緒に環境を科学しましょう!
水の中の微生物を採取するためのプランクトンネット。水環境を調べるためには、そこに住む生物の調査も重要となる
水の中の流れを3次元的に計測可能な流速測定器。水の流れは、水域内の物質循環や生物の住み分けなどに大きな影響を及ぼす重要な環境要因である