「今度は免許がない。」
重松ロカテッリ 万里恵 先生
皆様、お元気でしょうか。オーストラリアは夏から秋へと季節が変わり、朝晩がぐっと涼しくなりました。
さて、前回の記事では何とか住む場所を見つけ、メルボルンでの生活を始めた所までお話ししましたが、今回は仕事を始めてからのお話をしたいと思います。
期待と不安に胸を膨らませ、仕事開始日に職場であるSt Vincent’s Hospital Melbourne に向かった私でしたが、今度は次なる試練が待ち受けていました。
私の場合、オーストラリアで短期に医師として臨床を行うためには、The Australian and New Zealand College of Anaesthetists (ANZCA) というオーストラリアの麻酔学会に「麻酔専門医」を保持していることを認めてもらい、The Australian Health Practitioner Regulation Agency といういわゆる日本の厚生労働省のような機関に「医師免許」を認めてもらう必要があります。
英語の試験とビザの申請に加え、これらの事務手続きを日本にいるときから1年近くかけて準備しましたが、最終的な手続きは現地に到着してから完了する必要があります。というのも、外国人医師はオーストラリアに住所があることの証明や、日本からの航空券、犯罪経歴証明などを揃え、現地で指導医とともに直接AHPRAに提出する必要があるのです。
ところが就業開始直前、日本でできる手続きは全て済ませ、住居も見つけ、全ての書類を期限内に提出したにも関わらず、研修先リストの小さな事務的ミスがあったようで、AHPRAが免許がおりないと言うのです。書類を急いで作り直し、こちらの指導医の先生方にも手伝ってもらいながら再提出しましたが、手続きに時間がかかり、臨床ができるようになるまでに結局2週間かかってしまいました。
その間、毎日AHPRAに電話をかけ、「私の申請書どうなってる?」と聞き続けました。せっかく病院にいて担当症例もつけてもらっているのに、患者さんに触ってはいけないので、毎日心臓外科をやっているTheatre 1(高知大はRoom9ですがこちらはTh1と2が心臓外科のメインのオペ室です)に行き、ひたすらTOE(経食道心エコーTrans Oesophageal Echography)のモニターと術野を見ていました。
皆さん優しく、「長い人生の数週間なんて、大したことないないよ」「君は十分に準備してきたのだから、君のせいではないよ」と励まされましたが、免許のない2週間の夜間や休日のシフトは他のフェローに変わってもらい、彼らに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
2週間後、無事に免許もおり、ようやく仕事と研修もできるようになった訳ですが、最初は小さなシステムや文化の違いなども積み重なると大きな負担となり、まるで研修医に戻ったかのような自分のパフォーマンスの低さに、フラストレーションを感じる日々でした。少なくとも心臓麻酔コンサルタントの指導医の先生方は、皆さんとても優しく面白い方々ばかりで、毎日楽しみながら勉強することができています。
病院の規定で、院内の写真を撮ることや、院内での出来事をSNSに投稿することなどは厳しく禁じられていますので、皆さんとこちらで共有できないのは残念ですが、また帰国した際に、色々勉強してきたこと、日本との違いなどをお伝えできたらと思います。
最後に一つだけ、オーストラリアで働いていてとても素敵だと思ったエピソードをお話ししたいと思います。こちらの心臓外科の先生は、ポンプから離脱する際に「Are you happy, Marie?」などと麻酔科医①(麻酔担当)、麻酔科医②(TOE担当)、Perfursionist(ポンプさん)に1人ずつ名指しで聞いてからポンプからおりていきます。麻酔科医も心臓の動きや循環動態などが良いと「I‘m so happy! Great job!」などと外科医を誉めながらポンプ離脱へと向かっていくのです。離脱のタイミングのこの会話、何だかほっこりしませんか?
それではまた次回、お会いしましょう!